青空

今日の川崎はいい天気。澄み切った青空。 

こんな日は、海が近くにあるから海でぼんやり波をただただ見ていたい。

隣に嫁さんが日傘さして座っていたら、最高だね。 

全然関係ない話だが、なにかの記事で読んだんだけど

子供の頃の寂しかった記憶は、大人になったら我慢できるわけじゃなくずっと心に残るってね。

私は5歳の時から13歳まで暮らしていた。

母と妹とは年に何回か会えていた。

世の中では父親と呼ばれている人は、放浪癖と仕事が長続きしない人だったから、居るんだか居ないんだか分からないような人だった。

両親が揃っているからと言って幸せかというと、そうではないよね。

ネグレクト、虐待

虐待やネグレクトの末に幼い命が奪われていたりもする。

仮に大人になったとしても、幼い頃の悲しい記憶は全てきえるわけじゃない。

その記憶を踏み台にして生きていく人もいれば、病んでしまう人もいる。自殺してしまう人もいる。

あと、いじめな。

乗り越えていきてくひともいりゃー、いじめてるやつに殺されちゃう人もいる。自殺してしまう人もいる。病んでしまう人もいる。

産まれてきたからって幸せな人ばっかばかりじゃない。

生まれてこなきゃよかったと思っている人もいる。

死にたくて死んだ人も生きたくても生きられなかった人もいる。

要は虐待や不慮の事故でなくなったりしなけりゃー自分の人生は自分で決めること。

後悔なく生きればいいんじゃね?と思う。

という私の持論です。

私は今の人生にちょっと若い時にこうしときゃよかったなぁーってことはあるけど、今は幸せだし、今死んでしまったらすげぇやり残した事ばっかだから、今は死にたくないが

自分の目標や夢を達成して、嫁さんとの約束をたっせいできりゃー後悔はないかな。

今のところね。

母のことは大好きだし、一緒に暮らし始めてから一緒に居られなかった10年間を母なりに埋めてくれたし、恨んでません。

そもそも離婚原因も、私が祖母に育てられたのも母が悪いわけじゃないし。

 

さて。午後からも頑張るか!

 

ではでは

 

頭おかしくなるほど

たまに誰とも関わりたくない時がある。

いいから私のことはほっといてくださいみたいな。

むかしはなかった。10年くらいまえからかなー。こうなったのは。

構わないでくれ!話しかけないでくれ!

帰らせてくれ。早く帰りたい。

ちなみに、嫁さんにはそうならない。だって特別だから。

家族にすらそう思う。冷たいのだろうか。

でも意外とそういう人いるみたいだねぇー。

1人って楽しいなあ。だって自由だもん。

仕事中にこの症状がでてしまうことが、本当に困ってしまう。

どうしても人に関わらなきゃいけない。

周りの音にすら音にも耳を塞ぎたくなる。

ただただ、目の前にある仕事だけを1人でやりたい。

でもそういう訳にいかない。

好きな曲をガンガン聴いて、リラックスしていたい。

目に映るもの全てすら煩わしい。

嫁さんと音楽は別物。私にとって特別だから。

これはただのワガママなのか、メンタル的な症状なのか、わからない。

次回病院行った時、話してはみようと思う。

イライラしてしまう、何もかもに。

衝動なのかなんなのかわからない。

LINEするのもしんどくなる。

私に関わらないでくれ!だからね。

毎日では無いんだ。なんの前触れもなくなんの事柄もなく、これは起きる。

わりと仕事んときは元気キャラなんだが、テンションやばいくらい低くなる。

そういう時は体調悪いって言って、なるべく人にかかわらない努力をする。

さすがに話しかけないでくれ、ほっといてくださいなんて言えないからさ。

困ったねえ。今日も前触れもなくその症状がではじめてきている。

お願いだ。わたしをひとりにしてくれ

話しかけないでくれ。

基本寂しがりなのになあ。困ったもんだ。

 

 

 

上手く書けないから不快にしてしまったらごめんなさい

TwitterにてDID、つまり解離性障害の人に仲良くして頂いています。

きっと知らない人もいるとは思うので、私なりに説明させていただくと、辛い記憶から抜け出したくて、身体は一つだけだけと自分以外の人がいる状態。

言い方が大変失礼かもしれないが、人格1人は1人の人間なんだよね。

ちょい分かりづらいけど、そういう症状。

一人一人、声が違ったり考えが違ったり考え方も違う。

誰にでも、頭ん中にもう1人の自分がいたりすると思うんだけど、それとはまた違うんだよね。

すげえざっくりいわせていただくと、1人の身体にいっぱい人がいる感じ。

私がDIDの人と関わるというか、知るきっかけになったのは、とあるYouTubeチャンネル

だった。

たまたま、オススメに出ていたから閲覧したんだ。

そのチャンネルで色んな動画を閲覧して、

私なりに解釈して、たまたまTwitterでそのとあるYouTubeチャンネルの方を見つけて、嫁さんがまずフォローさせて頂いた。

ちなみに、嫁さんにそのとあるYouTubeチャンネルを教えたのは私。

そこからの繋がりで嫁さんが色んな人と関わるようになって、私も数人仲良くして頂いてる。

鬱とかADHDだとかASDも理解はしてもらえないけど、DIDの方々もちょいちょいTwitterで叩かれたりしている。

詐病だとか、不正受給だとか。

自分の症状に苦しんでいる人を何故たたくのかと。

お医者さんに診断書もらってる人がいるのに。

ろくに知識もないくせに、叩いたりしてアホかよって。

人によって詐病の人もいるだろうけど、少なくとも私が仲良くして頂いてる方々は詐病なんかじゃなく、ほんとうにくるしんでいる。

私が何を言いたいかって、さっきも書いたけど、ろくに知識のない奴が嫉妬したりして、SNSで個人を叩くこと。

そんな暇があれば、お散歩したりもっと楽しい事したらいいのに。

ブーメランしてるの分かりますか?

たんと賢くないなぁーって、よく知らないで叩くヤツはね。

 

もっと書きたいことあるんだが、時間が無い!もし、DIDの方がこれを読んで不快になってしまったら、ほんとうに申し訳ありません。

 

ではでは。

長く続いているのには理由がある

嫁さんと険悪な雰囲気になることはたまにあるけど、納得いくまで話し合う。

今まで付き合って来た人はそれが無かった。

気に食わなかった理由は分かってるから私は謝るんだけど、話を聞いちゃーいねえ訳よ。

お互いが納得いくまで話し合わないから、長くは続かなかったし、だから琴線が分からなかったわけよ。

んで、相手も私の琴線が分からなかったの。

私だって感情があるから、怒る時もある訳よ。

でも、逆ギレを大体してくるからもう怒るのやめようって、常に相手の顔色伺って、少しでも相手が機嫌悪けりゃ心臓バクバクして、ADHDが酷くなり、余計相手を怒らせてしまう。

嫁さんとはそれが無いんだよね。

友達として10年の付き合いがあってから付き合い始めたからってのもあるけど、お互いが同じような経験してるし、何より嫁さんが私をよく分かってる。

mixiで出会って、10年間遠方だしあまりあえなかったけど、なんかそれ以前から付き合いがあったような、初めて会った気がしなかった。

ほんと不思議なんだよねー。

神様がいるとしたら、出会うように仕向けてくれたんだろう。

んで、友達として付き合いがはじまったのも、恋人になれたのも偶然とかじゃなくて、必然だったんだろうなぁ。

嫁さんに出会えて本当によかった。

私は自分の気持ちを言わないというか、言えないんだ。

でも嫁さんは根気よく待ってくれるし、言えるまで聞いてくれる。

だから私は嫁さんを信頼できるんだ。

 

そうです。恒例の惚気です。

 

いつだって自分のことより誰かの事な嫁さんが心配だけど。でも私がずっとずっと傍にいるから、疲れたら寄りかかって欲しい。

何のための旦那だと!!

私は頼りないし情けないし甲斐性なしだし、でも嫁さんを愛する気持ちは誰にもまけない!!

 

そんなわけで今日も頑張るわ。

狡い事はしたくない

変なプライドが私を支配してる。 

女の武器と言ってもいい泣く事を気を許した以外の人の前でしたくない。

プライベートでは泣き虫なんだけどね。

特に会社とかでは意地でも泣きたくない。

精神的にダメージを食らおうと理不尽な事を言われようと。 

泣いたら負けだと思ってる。

絶対負けたくないから。ぜったいクソ忙しい人が欲しい時期に辞めてやるんだ!

繁忙期直前にな。

会社にも派遣先にも立つ鳥跡を濁しまくりでなwww

後ろ足で砂かけて、顔に泥塗って。

私みたいな底辺を拾ってくれて、たくさんやらかしても見捨てないでいてくれた

だけど充分恩は返した。

借金終わって、貯金出来たら速攻なw

今は我慢我慢。

川崎に戻るつもりは無い。私は嫁さんのとこに行くからね。

年に1回くらい実家には帰る。

飛行機乗るのだるいし、新幹線はもっとだるいwww

野望は叶えるためにある!望みがない訳では無い。頑張れば未来は近い。

今日は調子が悪い。頑張ろう。

 

心の余裕ができたのかな?

昨日の帰り道の話。

嫁さんと電話しながらバス停に向かっていた。

赤や黄色の花が綺麗に咲いていた。

排気ガスで汚染されまくって、工場地帯なこの埋立地で一生懸命咲いている花がほんとに綺麗で可愛くていい匂いがして。

この埋立地で働き始めて、昨日までその花達を見ても綺麗だな位にしか思わなかった私が、この花達も一生懸命いきている。

私も一生懸命生きなきゃなあっておもったんだよね。

私にはまだ達成出来てない目標も夢もたくさんある。

生きていかなきゃ。てか、生きていたい。

未来に何が起こるかなんて分からないけど、挫けてらんないなって。

人の生き方なんて十人十色。

誰かが決めるんじゃなく、自分が決めるんだから。

生きる人も自ら命をたつひともいるだろう。

それはその人の生き方なのだから、その人の苦しみや悲しみは誰にも分かりはしないのよ。

だから自分の決めた道を突き進めばいいのさ。

死にたい人に生きろ!なんておこがましい。

大切におもってる人には出来れば生きていて欲しいけど、全ては自分が決めること。

それでいいと思う。

だからといって、自殺を助長してるわけじゃないんだ。

私はただ、全ては自分で決めること、自分の人生は自分で決めりゃーいいと思うってことを言いたいだけ。

だって今の人生は今しかない。

助けられる人は助けたいけど、思いとどまされられる人はたすけたいけど。

全ては自分で決めること。

生きてりゃーいい事あるよーなんて事は、その人にしか分からない。

リセットボタンを押してしまうのも仕方ないんだよ。

 

何を言いたいか分からなくなってきた。

 

仕事に戻ろう。

お義母さんが出来ました。

その日がついにやってきた。嫁さんのお母さんと一緒に夕食を食べに行きつつ、カミングアウトの日が。。

嫁さんが先週実家に帰ったときにカミングアウトする!って言ってたんだけど、言い方おかしいかもだけど、うちみたく親が同年代の子達よりも若いとか、ノリとかテンションとか全然違うわけよ。うちから見たら、嫁さんとこは所謂普通のご家庭な訳で。。

まあ、うちは親が身も心も若いから、面白いし、親が若いって自慢になるしな。

しかもパッと見うちの母は美人だから余計にね。

まあ本人わりと努力してるみたいだし。

でも、そんな母も15歳の私にカミングアウトかつ彼女を連れていった時、かなりの葛藤があったみたい。

まさか自分の娘がガチのセクシャルマイノリティとは思ってなかっただろうし。

当時の彼女は同い年で、元々はノンケの人。

たまたま私を好きになってくれただけ。

いつか終わりが来ることも分かっていたし、母もそう言っていた。

でも母は、私が娘を理解しないで誰が理解する?って思ったみたいで、それ以降は言い方は良くないが、うちの娘レズビアンなんです!って周りの人にいっちゃう様な人になりました(笑)

接客業やっていたから、お客さんとの話のネタにもなるし。

どんな形であれ、母が理解してくれたことは本当に嬉しかった。

当時まだ生きていた父も。

妹も弟も、私のセクシャリティを理解してくれている。

前に思春期だった頃の弟に

私がセクシャルマイノリティーで嫌じゃない?って聞いたことがあってね。

弟の答えは

だって、あやはあやでしょ?嫌とか恥ずかしいとか俺はないよ?って言ってくれた。

弟は16歳年が離れているから、嫌だなって思われてるかな?って思ってね。

妹は3歳年が離れてるけど、むしろなんか喜んでいた(笑)

そんなわけで、うちは本当に恵まれた環境だったわけよ。

でもさ、嫁さんは一人っ子だし理解してくれて、受け入れてもらえるのが本当に不安だった。

なまじ嫁さんのお母さんと仲良くなっていたから余計にね。

しゃぶしゃぶの食べ放題のお店にお義母さんに御足労頂いて、いざカミングアウトの時!なかなか言い出せない私に嫁さんきっとヤキモキしていただろうなあ。

今言わないでいつ言うんだ!自分が言うんだ!って心を奮い立たせていざ、カミングアウト。

『実は今日はお話がありまして、、』

からカミングアウト

『実は5年以上前からなおさんとお付き合いしてます。ご報告が遅くなって大変申し訳ありません。』

お義母さんはうんうんて優しく耳を傾けてくれました。

そっから泣くのを堪えるのに必死で言葉がなかなか出てこない私。

『あの……えっと……』

そんな私にお義母さんは

『ゆっくりでいいから。焦らないで大丈夫だから。』って優しく言葉をかけてくれました。

そこで私の涙腺崩壊。泣きながら

『順序が逆にはなってしまいますが、なおさんと来年9月に挙式を行うことが決まりました。本当に申し訳ありません。本来なら直接ご挨拶にむかってご両親にご挨拶に伺わなければいけないのですが、そして挙式にご両親に伺って頂くのは遠方なので、申し訳ないので前撮りをこちらでやる事が決まってますので、ご両親に是非来て一緒に写真をとって頂きたいです。』

私が言えたのはここまでで、後は嫁さんが補足してくれました。

私が元カノのご両親に泣きながら別れてくれと言われて、それが相当のトラウマになっている事、嫁さんのお友達でカメラマンの人がいて、その人が前撮りを撮ってくれること。

お義母さんも泣いていた。でも受け入れてくれた。

しゃぶしゃぶを美味しく頂き、帰りに

『今日は御足労ありがとうございました。』

と私がお義母さんに言ったら

『今は時代がこうだし、私もその気があったからさ』

と優しく仰ってくれました。

そのあと、うちの母がTwitter見て、お義母さん、母、嫁さんのグループLINEでお義母さんにお礼を言っていました。

お義母さんは

『家族が増えた』って仰ってくれました。

私は幸せだなあ。家族として私達を受け入れて下さった。

平成最後の4月に、最強かつ最大な幸せが私に訪れました。

そして令和を迎えて数日経った今日、会社の同僚から素敵なプレゼントを頂きました。
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タイムラインみたよ。色々きまったみたいたま決まったみたいだからお祝いって、、

ありがとう!幸せになるよ!!

応援してくれる人が沢山いてくれる事が何より幸せです。みんなありがとうございます!

 

さて!仕事もどります!がんばろう!